頻出語

『夢酔独言』に頻出するのは「いろいろ」。「いろいろの目にあった」「いろいろ酒なぞふるまった」「いろいろ好きのことをして遊んでいた」「いろいろ魂胆をして」「いろいろ難渋を言いおって」「いろいろ馬鹿をやって」……。かなり口語らしさが感じられるものとなっている。

つぎのような部分も、口語らしさを感じる部分である。

外科の成田といふが来ているから、「命は助かるか」と尋ねたら、難しく言ふから、先づ息子をひどく叱ってやったら、それで気がしっかりとした様子故に、籠で家へ連れて来て、篠田といふ外科を地主が呼んで頼んだから、傷口を縫ったが、医者が震へているから、俺が刀を抜て、枕元へ立てて置いて、力んだから、息子が少しも泣かなかった故、漸々縫て仕舞たから、様子を聞たら、「命は今晩にも受合はできぬ」と言ったから、家中のやつは泣いてばかりいる故、思ふさま小言を言って、叩きちらして、其の晩から水を浴びて、金比羅へ毎晩、裸参りをして祈った。
この部分、「故」をはさんで、「から」が七回も出て来る。口語らしさというか、なんというか(「文語らしからなさ」?)。この直前が、「息子は蒲団を積んでそれに寄りかかっていたから、――故」で、一文の中に「から」が八回、故が四回出ていることになる。

夢酔は勝海舟の父だが、「勝小吉」と呼ばれることが多い。小吉は養子先での幼名で、左衛門がその名だろうが、なぜ、勝小吉と呼ばれることが多いのだろう。

この人物のことは、NHK大河ドラマ勝海舟」で知った。渡哲也の病気降板、倉本聰の喧嘩降板?などがあったが、渡哲也の頃はよく見ていた。海舟の父は、尾上松禄(尾上松緑?)がやっていた。子母澤寛の『勝海舟』『父子鷹』などが原作だったと思う。(「勝小吉」を通り名にしたのも、子母澤寛の力だろうか。)

ちなみに、『夢酔独言』によれば、夢酔も海舟も、○を怪我しているところが、どことなくおかしい。

『夢酔独言』は旗本の言葉だが、元将軍の言葉を筆記したのが『昔夢会筆記』。そこに見える慶喜公の言葉で頻出するのが「そんなことはない」。

『夢酔独言』も『昔夢会筆記』も平凡社東洋文庫で読める*1

『夢酔独言』の現代語訳というのもあるが、どのように訳しているのか、見てみたい気はする。角川文庫は持っていたように思うが。

*1:ISBN:4582801382ISBN:4582800769。『夢酔独言』は平凡社ライブラリーにも入っているとは知らなかった。ISBN:4582763332