東亰

 小野不由美『東亰異聞』などに見られるように、現在の(読書人の)常識では、「東京=とうきょう」「東亰=とうけい」という棲み分けがなされているように見受けられ、それが何に依るのであろうか、気になっていた。

先日、神保町で小木新造『東亰時代―江戸と東京の間で』ISBN:4140013710*1を立ち読みしたところ、その棲み分けはこの本に始まるものであろうと思われた*2。この書の中で、小木氏は、「東京=とうけい・とうきょう」「東亰=とうけい・とうきょう」である可能性もあるが、大漢和辞典に「亰」が「ケイ」と「ゲン」の音しか載せていないところから、「東亰=とうけい」とする、というように書いてあった。

 漢字音の知識が広まっていないことが悲しい*3異体字であるのに、片方に二つ音があるのにもう一方には、一音しかないことはおかしい。大漢和辞典が「ケイ」と「ゲン」の音しか載せていないのは、「京に同じ」「原の本字」であるから、「併記の必要のないもの」(凡例二頁下段)として、一つしか載せていないのであって、音が知りたければ「京」「原」を見なければいけないのだ。たとえば、「仏」(佛の古字)は「ブツ」を載せるのみで「フツ」を載せていない。表面的大漢和至上主義者は「仏文」を「ブツブン」としか呼べず、フツブンと読ませたければ「佛文」と書くべし、というかも知れないが、もちろんこれは間違いで、「佛」に「ブツ・フツ」があるのと同様に、「仏」にも両音あるのだけれども、書いていないだけだ。
また大漢和十三巻の「補遺」は全て一音しか載せていない。みな、なにかの本字なり譌字なりの異体字だからだ。

ここまではトウケイというヨミの話。以下は「東亰」と「東京」の話。


 西沢爽『雑学 東京行進曲』ISBN:4061833316

明治新政府は江戸を東と改めた。(はじめはトウケイと発音した)
と、「亰」字に傍点を付けて書いてある(p145)。そこでは、浦辺仙橘「東京の亰の字について」(『武蔵野』昭和三年一月号)や、村松竹太郎『東京都政秘話』(昭和18)を引いてある。

「江戸は東亰となり、その後、いつのまにか東京になった」と思っている人は多いのだろう。


 このような知識を持っている人が、松井利彦太政官布告の漢字」(『漢字講座8近代日本語と漢字』明治書院ISBN:4625520886)を読めば驚くだろう。

異体字は、『太政官日誌』の江戸版において京都版のそれが改められることが多くありはしたけれども(中略)、異体字であっても、布告に記されている漢字であるがゆえに規範視されることがあったと思われる。その最たるものが「京」である。(中略)そして、四六号で「自今江戸ヲ称シテ東亰トセン」と詔書写しにおいて「亰」が使用されるに及んで、この俗字「亰」が次第に規範性をもつにいたり、一時は広く使用された。(p36-7。色変え及び太字は引用者(くうざん)による)

このようなことは、日本語学研究者のみの知識にとどまらず、広く知られてほしいと思うのだが……

*1:文庫はASIN:4061597655

*2:「始まる」は、ちょっと極端で、「権威づけられた」ぐらいのところでしょう。

*3:どの漢字にも漢音と呉音があり、一つしか音がないように見える場合には、漢音と呉音が同じ形であるか、あっても使われていないかである(呉音の方は使われていないことには確定は出来ないが、それでも演繹的に呉音と認めるべき音形はある)、などということ。